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2025/06/22

研究方法論 II アイデンティティ政治への異議

Research Methodology II セミナー、6~7週の宿題としてMandatory readingの内容をまとめていたが、途中でほったらかしになっていたものがあったので、備忘録のため、とりあえずアップしておく。

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The New Tribalism and the Crisis of Democracy

フランシス・フクヤマの割と近年の作品で、2018年にフォーリン・アフェアーに寄稿されたものだ。

原文は公開されているので、こちらで無料で読める。


日本語の関連本はこちら。

IDENTITY 尊厳の欲求と憤りの政治

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フクヤマは1992年の「歴史の終わり」が最も有名だが、それからの彼の意見の変遷が見られるため宿題になった。

新版 歴史の終わり〔上〕: 歴史の「終点」に立つ最後の人間 (単行本)

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以下、要約する。



1970年代から、世界政治は劇的な変化を遂げ、35の民主主義は110まで増加し、この変化は1993年から2008年にかけて、極度の貧困に喘ぐ人々の割合を42%から18%へ減少させた


しかしすべての人が、それらの変化から恩恵を授かったわけではない


特に先進国での経済的不均衡は著しく増加し、発展の利益は、富める者、教育水準の高い者へ優先的に流れた。


ヒト、モノ、カネの大量の移動は破壊的変化をもたらした。


発展途上国の電気もない生活をしていた村民は突然、スマホでインターネットで常に繋がる大都市での生活を享受するようになった。


中国やインドはその中流階級を爆発的に増やしたが、それは同時に先進国のかつての中流階級の仕事が奪われることを意味した。

得てして、製造業の中心は米国と欧州から東アジアや他の低賃金の国々へと変遷した。

女性の労働市場への更なる進出や機械に置き換えられる業務も見られるようになった。


結局、これらの変化は、より開かれた自由な世界の秩序へ向かう動きを遅らせた

そして揺れ戻しををくらう


2007年のリーマンショックや2009年のユーロ危機はエリート層に巧みに作られた政策が大きな景気後退を強い、何百万もの一般労働者の高い失業率、収入減を招いた。


これらの金融危機は、民主主義の好例を自負する米国・欧州の制度の威信を傷つけた。


事実、近年は民主主義の数は落ち込んでいる

同時に、ロシアや中国による権威主義はより自信を深めている。


ハンガリー、ポーランド、タイ、トルコのように1990年代に自由主義を成功させたように見える国々も権威主義的な傾向へ後戻りし始めている。


2010-11年のアラブ革命は、中東全体で独裁制を崩壊させたが、民主主義はほとんど取り入れられなかった。


そしてさらに、最も驚きを与えたのは、2016年に世界で最も自由民主主義的な2つの国、米英で行われた投票でのポピュリズムの台頭である。

英国ではEU離脱が選ばれ、米国ではドナルド・トランプが選出された。


これらの変遷はすべて、経済・技術のグローバリゼーションとなんらかの関連があるが、同時に異なった現象に根付いているものでもある。


Identity Politics (アイデンティティ政治)の急伸だ。


概して、20世紀の政治の世界は経済問題が中心と言える。

左派は、労働者、貿易組合、社会福祉、富の再配分を主張し、右派は対照的に小さな政府と規制撤廃の主張が優先された。


しかし今日の政治は経済や思想に関しての懸念によるものより、アイデンティティへの疑問によるものが増加している。


今日の左派は経済的平等を広めることより、民族マイノリティ、移民、難民、女性、LGBTのような疎外された様々な集団への利益を促進することに邁進している。


右派は代わりに、しばしばあからさまに人種、民族、宗教へと繋がる、伝統的国民意識の保護という愛国主義の軸の再構築を担っている。


この変遷は、政治闘争とは経済的闘争であるとしたカール・マルクスまで遡り、長い伝統を覆すことを意味する。


しかし現代を説明するのに都合の良いように人は他の物事によっても動機付けされる。

世界中の政治指導者たちは、我々の尊厳が損なわれており、取り戻さなければならないという思想によって支持者を増やしている。


もちろんこんなアピールは権威主義的国家には時代遅れのものだ。


ウラジミール・プーチンはソ連崩壊を悲劇と呼び、その弱みに付け込み、1990年代にNATOを東方拡大させた米国を厳しく非難している

習近平1839年に始まった外国支配を中華の1世紀の屈辱」としている。


しかし、BLM#MeTooのように、尊厳への憤りは民主主義国でも大きな原動力となっている。

トランスジェンダーは偏見の標的として認識され、トランプへ投票した多くは古き良き米国時代を夢見た。


これら集団は自身のアイデンティティは適切な認知を受けていないと信じている。


Identity Politics はもはや、ささいな現象ではないのだ。

現在の世界情勢の多くを説明する主要コンセプトになっている。


グローバリゼーションがもたらした経済と社会の急変と多様性は、これまで目を向けられてこなかった集団について、認知することを要求させた。

これら要求は、これまでの主流に地位の損失や疎外感をもたらす反動を生み出した。


その結果、民主社会はこれまでにない狭義のアイデンティティに基づいた区分けにこまごまと分けられている。


もっと普遍的な人類の尊厳の理解へ戻ることができなければ、自由民主主義は終わりのないいさかいの運命にある



The Third Part of the Soul

多くの経済学者は、人間は物質資源や製品への欲求によって動機付けされると想定しており、これは西洋の政治思想に深く根を持つ。

そして現代の社会学の基礎を成す。


しかし古典哲学者が最も重要だと認識したもの、尊厳への渇望が除外されている

ソクラテスはそれを、欲求するパート、計算するパートと共に、人間の魂の全体を構成する第三のパートを形作ると信じた。

プラトーは thymos という言葉を当てたが、英語はそれを spirit と凡庸に訳した。


政治では、thymos は2つの形態で表現される。

1つは著者が megalothymia と呼ぶもので、優越者として認知されたいという欲求だ。

これの問題点は、優越者と認識された人にとって、他すべては劣等者として見られ、公共の場で何ら人間的価値を享受しないことである。

これは強い憤りの感情を生み出し、著者が isothymia と呼ぶ強力な感情が人々を、他のすべての人と自分は同じだと見られることを欲求する。


近代民主主義は megalothymia に対する isothymia の勝利の歴史である。

本質的に平等であるという考えの社会は、少数のエリート層の権利による社会に取って代わり、20世紀には、一般市民の権利が認められ、階級によって社会は階層化された

そして植民地では独立を追い求めた。

米国では、個人の輪を拡大する政治機構に、奴隷制、分断、労働者の権利、女性不平等などを認めさせる要求によって、それらの闘争が展開された。


しかし、ここ30年で先進国において劇的な収入の不均衡が見られるように、法の下の平等は経済的・社会的平等へ繋がるわけではない

多くの層が収入の停滞に喘ぎ、ある特定の社会階層においては、より下層への落ち込みを経験している。


経済状況悪化への脅威を感じていることが、米国をはじめ多くの国々でポピュリストナショナリズムが勢いを持っていることの説明になるかもしれない。


ここ10数年で広がった、米国の白人労働者階級に見られる衰退は、薬物使用者、交通事故死を増加させ、米国の白人男性の平均寿命を2013年から2014年にかけて下落させた。

これは先進国としては極めて異例である。


しかしおそらく、トランプをホワイトハウスへ送った(そしてEU離脱を決めた)新ナショナリズムの最も大きな原動力のひとつは、the perception of invisibility である。

中流階級の地位を失ったことの恐怖で怒りに満ちた市民は、彼らのことをケアしてくれないエリート層へ中指を立てると同時に、より下層の人々は自分たちよりケアされて不公平だと言う。


懸命に働くことが尊厳を与えるべきであるが、多くの白人労働者階級の米国人は、政府は不当に権利を、ルールに従わない人々に与えていると感じ、彼らの尊厳はないがしろにされていると感じている。


ナショナリストは「我々の国はもはや我々のものではない。そして我々は自身の国で尊重されていないのだ」と言い、常に中核だった我々を差し置いて、外人、移民、エリートたちがそれを奪おうと企てていると主張する。

これは伝統的左派の主張より効果的だった。


宗教右派も似た主張を行う。

「我々は優れた信奉者集団の一員で、非信奉者たちによって裏切られている。これは我々を貧困に導き、また神への冒涜である」


こういった語り口の流布が、移民を論争にしている。

貿易のように移民はGDPを押し上げるが、恩恵はすべての人へ行き渡るわけではない。

ほとんどの場合、ある地域において大多数を占める民族集団は、移民の大移動に直面すると、文化的アイデンティティの脅威として捉える


しかしながら、移民問題それだけでは右派ナショナリストが、左派の有権者を獲得できたか説明できない。


右派への傾倒は、左派系政党がグローバリゼーションと技術革新の結果、相対的に地位を落とした人々へ説明を失敗したことが反映されたものである。


近年、左派は、ある特別な視点で疎外されていると考える少数集団へフォーカスするようにシフトした。

時間とともにこの現象は左から右へという動きをもたらした。



The Triumph of Identity

1960年代、社会運動が世界中の発展自由民主主義で出現してから、米国では市民活動家が独立宣言の平等の権利を満たすよう要求し、続いてフェミニスト運動が続いた。

平行した社会革命は、性や家族に関しての伝統的社会規範は閉ざされ、環境運動は自然への態度を再形成した。


そして、障がい者、ネイティブアメリカン、移民、ゲイ、そしてトランスジェンダーの権利を推進する活動が続く。


しかし、より多くの機会や、より強固な法的保護を、追いやられた集団に提供するために法律を変えたときですら、慣習、伝統、富、行動様式をお互いに異なったものにし続けた

個人間に偏見は残り、マイノリティは差別、偏見、軽蔑、見えない存在という立場の重荷に対処し続けた。


この状況は、支配集団と同じ扱いを要求するか、異なったアイデンティティを主張し、主流社会から異なった存在として敬うことを要求するという2つの選択を与えた。


マーチン・ルーサー・キングは前者を選択し、ブラックパンサーは後者を選択した。


黒人の真の内的自己は白人とは違ったのだと彼らは主張した。

白人に支配され、虐げられた社会で育った独特な経験によって形成された彼らは、彼らと違った環境で育った人々(白人)には認められることができなかった。

これらの見方は現在の Black Lives Matter 運動に取り入れられている。


Ta-Nehisi Coates は、現代のアフリカンアメリカンに対する警察の暴力を、長い奴隷制とリンチの歴史に繋げている。

彼らによれば、この歴史が黒人と白人の理解の溝が埋まらない理由のひとつとする。


フェミニスト運動は、就労、教育などの平等にフォーカスするが、そもそも女性の人生経験や意識は根本的に男性のそれと全く違うため、女性の思考や態度を、男性と同じものとして単純に促進することを目的とすべきではない。

もともとは、単に多様社会の質を言う言葉にすぎなかった、「多文化主義(Multiculturalism)」は政治的ラベルとなり、区別されている各文化を価値づけた。そして過去に価値づけられなかった、または見えない者として扱われてきた人たちに特別な関心を向けることによって、各々は平等となった。


多文化主義は当初、フランス語を話すカナダ人やムスリム移民、アフリカンアメリカンなど、大きな文化集団についてだったが、すぐに多くの小集団へ細分化された。



From Left to Right

左派の identity politics と受容は理解できるし、必要でもある。

多くの人々に有益な材料がある方法で、文化や態度を変えることが identity politics の目的だ。

よりせまい領域の不正義の経験に光を当てることで、identity politics は文化規範に喜ばしい変化を生もうとし、多くの人々の助けになる具体的な公共政策を創り出している。


BLM運動は警察組織の意識に影響を与え、#Me Too 運動は一般的な性的暴力の理解を拡張し、関連法律に関して重要な議論が始まった。


このように、不正義に対しての自然で必然の反応である identity politics に間違いは何もないが、文化的問題に集中する傾向は、社会的経済不平等がより悪化していることの進展について、真面目に思考することから関心とエネルギーを遠ざける


政治変革を議論するより、文化的問題を議論する方が簡単であるし、女性や少数派の著者を大学のカリキュラムに入れる方が、収入を増やすことより簡単である。


更に、identity politics によって突き動かされている最近のキャンペーンにフォーカスするほとんどの選挙区は、収入の頂点に近いところばかりだ。

(シリコンバレーの女性経営者や女性のハリウッドスター)


彼女らが、より大きな平等を達成するのを援助することは良いことだが、所得上位1%と、その他すべての人との間にある明白な格差について、取り扱うことはほとんどないだろう


今日の左翼の identity politics は大きなグループから関心を転換させている。

これまで、左派活動家は、オピノイドクライシスや、貧困層の1人親のもとで育つ子どもの運命についてほとんど触れてこなかった

民主党は技術革新によって多くの職が失われる可能性について何の戦略も提唱していない

左派の identity politics は、民主主義の根幹を成す言論の自由と理性的議論の脅威となっている。

アイデンティティへの没頭は市民との対話の必要性とぶつかり合う。


ある主張が誰かの自尊心を傷つけるという事実は、その主張をした個人を黙らせたり軽蔑したりする根拠とみなされることが多い。


現在の米国政治システムの機能不全と腐敗は、かつてない二極化の増幅と関係している。

ほとんどの非は右派に属する。

共和党は、民主党が左から反対サイドの右へ動いているよりもっと早いスピードで極右化している。

両政党とも中心から離れていっている


しかし identity politics の最もまずい点は、左派が右派の identity politics の隆盛を刺激していることだ。



ほとんどの極端な政治的正しさを、実際左派に信奉する者が少なくても、そういったれは保守メディアに取り上げられ、左派にタールとして使用される。



トランプの隆興は保守派の identity politics の拒絶を反映していなく、実際は、identity politics の右派の受容を反映した。


多くの白人労働階級トランプ支持者は、エリートによって無視されてきたと感じる。

田舎に住む、米国だけでなく欧州の多くの国の、ポピュリスト運動の根幹を成す人々は、たいていコスモポリタンによって彼らのの価値観が脅威にさらされていると信じる。

彼らは支配的民族集団に属するにも関わらず、白人労働者階級の多くが自らを被害者で瀬戸際に追いやられているとみなす。


こんな感情が右翼の identity politics に道を整え、極端な場合、明白な差別主義的白人至上主義のかたちを取る。

トランプは直接この過程に貢献している


トランプのおかげで、白人至上主義は主流風ぶったものからも焦点が外れて動いている。

その指示者は、黒人、女性、ゲイの権利について対話するのは政治的に受けれ入れられるが、人種差別主義者のレッテルを貼られることなしに、白人アメリカ人の権利を擁護することが不可能だと不満を述べる。


右派は歴史的特権のコミュニティの視点を反映しているため、彼らのアイデンティティの決めつけは正当性がなく、少数派、女性、その他疎外されている集団と同じモラルの船にのせることができないと左派の identity politics の実践者は主張する。


政治的正しさが言論の自由をどの程度抑圧しているかを誇張するように、保守は少数派が受ける特権を極端に誇張する。

黒人に続く警官による暴力、女性へのハラスメントに見られるように、現実には、多くの疎外された人々の置かれた状況は変わっていない。





A Need for Creed

追いやられり、除外されたりしている集団を保護するのは必要だし、共通の目標に対して合意を形成することも必要だが、このような左派・右派のアジェンダの変遷は、このプロセスを結局のところ脅かしている。

ヒト社会はアイデンティティやアイデンティティ政治を避けることができない。

アイデンティティとは「強力なモラルアイディア」であり、人は認識されない真の内的な自己を持っていることを伝え、また、外的社会は間違っており、抑圧的だろうと提起する。


それは、人の尊厳の認知という自然な要求にフォーカスさせ、その認知が成されないときに沸き立つ怒りを表現する言葉を供給する。


自由民主主義は選択の平等の権利と、集団的政治活動の決定の上に創られる。

しかし、多くの人々が、一般の人として等しく認知されることに満足しない

ある意味、これが現代生活の状態である。


近代化とは継続的な変化、崩壊、そして以前は存在しなかった選択の開放である。


これは、概して良いことであるが、世代を越え、何百万の人々が選択を与えなかった伝統的共同体から逃れた。


しかしその社会は、同胞と分断され不幸せな人々を残すことにもなる。


あなた方は現存する権力に裏切られ、軽視されてきたのだ。そして、偉大さが認められるであろう重要な共同体の一員である、と訴えてくる為政者によって、そんな人々は誘惑され得る。


しかしながら、現代アイデンティティの性質は変化し得る。

自分で制御しようがない生物学に基づき自分のアイデンティティを説得する個人もいる一方で、現代社会の市民はいくつもアイデンティティを持ち、それは社会相互作用によって形作られる。

つまり、人種、性別、職場、教育、親和性や国民である。


アイデンティティ政治は社会を自己評価集団の小さな単位に分割するにも関わらず、広く、より統合的アイデンティティも作ることが可能である。

よって、現代の非民主主義はアイデンティティ政治に免疫があるが、すべては相互尊重の広い形態に帰結する。


政府と市民社会集団は小さな集団を全体集団へ統合することに集中しなければならない。

市民に建国理念と一体感を持たせ、公共政策をつかい、新参者を意図的にどうにかさせるのである。


欧州の左派は、新参者の統合の重要性を軽視し、多文化主義を擁護してきた。

アンチレイシズムの下、欧州の左派政党は、多文化主義は同化に対して障壁となる事実を軽視してきた。


欧州の新右派ポピュリストは、移民のいない社会で栄え、民族や宗教に基づいた薄れゆく国民文化を懐かしんだ。


欧州でのアイデンティティ政治への闘争は市民法の変化と始まらなければならない。

熱心に自国の既得権益を守り、重大な改革や変化に拒否権を準備する28か国のメンバーにとって、こんなアジェンダはEUの能力を超えている。


EUメンバーは両親の民族に基づく血統権に関する法律があるが、出生地主義に基づく土地の権利に基づく法律を定めるべきである。また、新規市民の帰化にも厳格な要件を課すべきである。


米国では5年の継続居住、英語能力、米国の歴史と政治の理解、高い道徳心、米国への中世の近いが新規市民権取得に必要である。

欧州もそうすべきである。


多様性から恩恵を受けてきた米国であるが、多様性の上に国民アイデンティティを築くことはできない。

実行可能な信条的国民アイデンティティは、立憲主義、法治、平等のような重要な考えを提供しなければならない。

米国はそれらを拒否するものには市民権を与えないことが正当化される。



Back to Basics

米国・欧州ともに移民に関しての議論の性質は変わり、両極化している。

右派は移民を削減し送り返すことを求め、左派はすべての移民を受け入れることを自由民主主義の責務と主張する。

これらは両陣営とも擁護不可能な立ち位置である。

代わりに実の議論は、信条的国民アイデンティティへの移民の同化へのベストな戦略についてであるべきである。


よく同化された意味は健全な多様性をどの社会へももたらし、同化されない移民は妨げであり、安全保障上の脅威を構築する場合もある。


欧州政府は、口では同化について言うが、やり通していない。


例えばオランダでは pillarization というシステムの下、子どもたちはプロテスタント、カトリック、ムスリム、無宗教と分けられて教育される。


フランスでは根強い差別があり、経済も長年低迷し、国民アイデンティティはイスラム嫌悪として攻撃されている。

同化はフランスで多くの左派に政治的に受け入れられない。

これは残念なことである。なぜなら、極右の国粋主義や過激主義を、普遍的な市民権という共和主義の理想の真の擁護者として先頭に立たせることを可能にするからだ。




Assimilation Nation

移民の共同体があるレベルに達すると、彼らは自立し、もはや自身を外の集団と繋がる必要はない。

移民共同体は公共サービスを圧倒し、学校や他の公共施設の能力を抑制する。

移民は長期的に公財政から恩恵を受ける、しかし職を得、納税者となり、市民権を受けれた場合である。



A More Unified Future

最後のチャプターはまとめ割愛。



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このセミナーの Mandatory reading で、一番自分の興味に合っていて面白かったのは間違いなくハンティントンだ。

個人的にはフクヤマは好きではない。


学期最後の方で与えられた A Brief History of the Idea of Progress も面白かった。


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しかし、この授業、いまだに成績が出ていない

最初の成績発表の予定日から、まる3週間すぎた。


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