写真:訪れたことのある国(トランジットのみは除く)
重苦しい約1ヵ月のテスト期間から解放され、ついに夏休みである。
自分が高校出の18歳だったら、後期の試験内容には本当、くじけてたと思う。
しかし夏休み明けにはもう2年生だ。
前期より通常生活に余裕が出た、わけではないが、せっかく欧州の中央に住んでいるので、近隣諸国くらいは上記の地図を赤に染め上げたいとは思っている。
とりあえずナポレオンが征服した国数は超したい。
来週マドリッド、再来週ブリュッセル、その翌週トーキオーに飛ぶ予定である。
夏休みの大学寮の契約
大学寮の契約は最長でも
10か月なので、今月末(6月末)で
いったん切れる。
次の10カ月契約は9月からなので、夏休み中の期間2ヵ月は別途契約が必要である。
しかし、今住んでる Kinizsi はこの夏改装をするので、夏休み2ヵ月延長のオプションはない、と5月に告げられた。
6/29までに出ていけと。
で 、悪名高き Tarkarét のみ夏期間の募集をするため、泣く泣くそこへ申請した。
というわけで月末には引っ越しである。
いまさらだが、コルヴィヌス大学は4つ大学寮を持っている。(大学に近い順に列挙)
Kinizsi(古くて汚いけど近くて便利)
Ráday(基本的にハンガリー人が住む)
Gellért(最新だが寮が付属するキャンパスで講義のある学科の生徒専用)
Tarkarét(遠い、周辺に何もない)
Stipendium Hungaricum の奨学生の割り振りは Kinizsi とTarkarét が多い。
奨学生は寮費無料となるので私としては文句はない。
ハンガリー語で一緒になった日本人は同じ奨学生だが Gellért 在住だ。
しかし、最新の寮のため、追加で €100 / 月(約17,000円)支払いが必要だそうだ。
1回お邪魔したが、シャワーとトイレが各部屋にあるのが大きな違い、でも個人的には無料の選択肢がある中、お金払ってまではいいかなという感想。
来期大学寮の申請は、おそらく8月なかばにあり、月末に結果が出る、という日程と予想している。
当然、新入生が優先なので、2年目がどれだけ受け入れられるかは未知数だが、まあなるようにしかならないので、外れた場合は1週間程度で死ぬ気でアパートを探す必要があるということを肝に銘じておくことだ。
スペイン
翌週末、2泊3日でマドリッドへ飛ぶ。
用事としては大きく3つ。
6/27(金)なでしこ vs スペイン代表戦
6/28(土)欧州在住の日本人の草サッカー大会
6/29(日)友人のスペイン人とタイ人カップルとお食事
言うまでもなく、
スペイン代表は前回W杯覇者であり、コンサドーレ札幌より素晴らしく、美しいフットボールをするホットな代表チームだ。
またイングランドでボランチとしての評価が最高と言われる
長谷川唯も楽しみである。
2日目の草サッカー大会は毎年持ち回りで開かれているらしく、ロンドンの年もあれば、ウィーンの年もあるとか。
ただ聞くところによると、各国若手がそろっているらしく、ハンガリーのような年寄りチームはカメのように守ってのカウンターサッカーしか手段がないらしい。
在住日本人の差も、その住んでいる国の経済力の差が明確に出るということだ。
3日目はスペイン来るなら絶対連絡しろよと言われていた、札幌大好きなタイ人を彼女に持つマドリッド出身のナイスガイである。
2人とも、豪州の語学学校でクラスが一緒だった。(各々別々に)
連絡はたまに取っていたが、2年ぶりくらいか。
チケットは往復8万くらいで結構高かった。
ベルギー
スペインの翌週、1泊2日でベルギーに飛ぶ。用事は1つ。
大学時代の同級生が働いているので、おしゃべりしに行く。
大学卒業後、私の勤務地と彼の勤務地が同じ県内だったので、よく飲みに行った。
しかし、東日本大震災前には南アフリカに転勤になり、メールでのやりとりだけになり、たまに帰国したとき会うくらいになった。
その後、東京勤務となって帰ってきたが、遠かったので会うことはなかった(と思う)。
しばらくして、フランス勤務となった頃から、私も異動したこともあり、疎遠になりつつあったが、今はブリュッセルにいることを知ったので、行くことにした。
往復で2万弱。やす。
もしかしたら10年以上会ってないかもしれない。
今回は偵察気分で、定期的に通って歴史的遺産を少しずつ見に行けたらと考えている。
トーキオー
古い大学寮はクーラーがない。
近年はブダペストも夏がやばいらしく、40度いったりするらしい。
さすがにそれは生活できないので、トーキオーに飛んだあと、サッポロへ避難する。
トーキオーには出身も大学も違う友人とおしゃべりしに行く。
彼は、私の工学部生時代の同級生の地元三重県の高校の同級生だ。
就職後に大学の同期とキャンプ的な感じで関東に集まった時があった。
高崎駅まで新幹線で行き、そこで大学同期の友人に拾ってもらったときに、すでに一緒に車に乗っていたのが彼だ。
彼も同期で違う学部の友達だ、と思い一所懸命思い出そうと、さぐりさぐり会話を広げて情報を集めた。
会話が不自然だったため、同期の友達にさっきから何を言ってるねんとツッコまれた。
「正直彼を覚えていない」と白状すると、
「お前、彼とは今日初対面やぞ」
と言われた。
「早く言えよ!」
と返してからの付き合いである。
インド
過去に訪れた国をひとつ、思い出してみる。
まだ大学生だったころ、先述の高崎駅へ迎えに来てくれた彼からある日、
「きょう帰りにHIS行かへん?」
と誘われて、そのままインドへ旅行することになった。
まるでラーメン大将にでも行くかのように誘われたわけだが、閑散期だったのか、往復68,000円で安かったので、そのまま支払った。
台湾経由のチャイナエアラインだったと記憶しているが、台北にも一泊した。
デリー
ジャイプル
アーグラ
の黄金の三角形と呼ばれる、初心者むけ観光ルートの3都市を回った。
タージ・マハルがあるのはアーグラだ。
インドの地図で見るとちっさな三角形だが、実は北海道くらい大きい。移動が大変。
到着は深夜だったので、安全をとって初泊のみHISで航空券とセットで手配した。
一泊9,000円くらいだったが、翌日からは一泊500円くらいのところに泊まった。
今のインドの状況は知らないが、当時は価格設定がバグっていて、品質と値段がまったく合わないシーンにたびたび出会った。
安ホテルが500円だからといって、9,000円のホテルがどうだったかというと、20倍近い価格差にホテルの品質はまったく追いついていなかった。
どちらのホテルもシャワーは水しか出なかった。
(しかし暑さで水はぬるいのでむしろ気持ち良かった)
なので500円のホテルに泊まる方が断然お得で満足であった。
最終日、深夜初の便で、夜中にずっと外にいるのは危ないと思いホテルを取った。
一泊するわけではないので、250円のさらに安いホテルを取った。
ここは、500円のホテルより、さすがに品質が落ちた。
何せ様式トイレに便座が付属していないのである。
大をもよおしたとしたら、どうすれば良かったのだろう。
そして、食事。
腹をこわすと旅行が台無しになるので、安い屋台には手を出さず、食事は高いとこで食べよう、と二人で決めていた。
ホテル代と同じ1食500円くらいのレストランで毎日外食した。
その一方で、今で言うスタバのようなカフェに入ると、アイスコーヒー1杯500円。
身なりの良いスーツ姿の客ばかりの中にタンクトップでアイスコーヒーを飲んだ。
今はこんなことないだろうが、とても良い思い出だ。
当時はこういった海外との違いの何もかもに興奮したが、いまは歳も取り何も感じなくなった。まあしょうがないことだが。
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