![]() | Freedom Rising: Human Empowerment And The Quest For Emancipation 新品価格 |

もし複雑な国家社会が十分に機能するならば、そこにはやる気に満ち溢れることを必要とする為政者に大きく依存する政府があるだろう。
もしプレッシャーが和らいだとしても、大衆の感情はかつてないほど、国家間のパワーバランスへの強い因子となっている。
Norbert Elias 1984(1939): 229
I. THE THEME: FREEDOM RISING
その種の起源から最近まで、貧困や危険の中で人類は生を営み続けてきた。
文明の起こりと共に人は大君主に仕え、以来、国家組織は人間の搾取の完成形となり、国家能力の成長は自由の抑圧を意味した。
事実、自由の原型を捨て去ることが文明の定義であった。
仏、米に代表される18世紀の革命は、歴史においてゲームチェンジャーとなった。
当初、上記は西洋の例外的な事例であったが、権威主義の失敗が民主化の波を起こし、共産主義の崩壊、カラー革命やアラブの春へつながった。
万事がうまく進むわけではないとはいえ、自由を主張する大衆による大きな圧力はこれらの革命の大きな原動力となった。
歴史上、今日ほど強烈に、頻繁に、多くの場所で自由が望まれることはなかった。
この本は人類の自由探求についてであり、それを鼓舞する源(解放への欲求)についてである。
いつどこでこの欲求が起ころうとも、それは著者が「emancipative values」と呼ぶ、目に見えるものである。
また、これら価値観を源泉とする人類に沁み込んだ過程を「human empowerment」とし、これら価値観と隆盛、内容の吟味、原動力、そして結果についての本とする。
Emancipation という信念が閉ざされるとき、いくつもの悪い結果が続く。
人は不幸せを感じ、利己的な衝動を制御することが難しくなる。
救済(salvation)は、本質的に emancipatory idea であるが、emancipative values は、人が人生においてそれを目的とする点が救済とは違う。
Emancipative values は抑圧が続けば現れず、逆に弱まると強く成長する。
産業革命による大衆の生活水準の改善が、外的圧力によった彼らの行動を、彼らの内面から生ずる欲求によって動かされるように変化させた。
結果、「utility ladder of freedom」をすべての人が駆け上がった。
これは西洋だけでなく、中国やインドでも、多くの大衆に起こった。
このことは、貧困や抑圧が消え去ることを意味しないが、歴史上類を見ないほど多くの人々が収入、識字、寿命の点で高いレベルにある。(崩壊後のソ連各国でも同じ)
脱植民地化の終わりから、戦争、テロ、虐待など肉体的暴力は減少し、民主主義と人権規範の広がりが圧政を世界規模で減少させた。
家父長制度は、女性の権利前進に代わって減退し、近年の研究エビデンスは人生の満足度が、ここ30年でほとんどの社会で増加していることを示す。(データが有効な国で)
これらの社会は「human empowerment process」の最前線であり、知識社会は制御機構を弱め、集団規範の影響を減少させ、協調圧力を見えなくすることを経験している。
つまり個人主義だ。
Emancipative values は、この個人主義の心理的副産物として生まれた。
この価値観は機会の平等を強調するため、人々は差別事件に対して動揺する。
個々人の不可侵領域を出現させる逸脱した行動に対して、より寛容になる一方、他者によるその領域を侵す行動に対しては、より不寛容となる。
すなわち、emanicipative values が育つにつれて、セクシャル、レイシャルなどへの偏見については不寛容となる。
リベラルの寛容は、非リベラルな慣習への不寛容なのである。
述べてきたすべての社会変容は、公私ともに人々の自由の行使に力を与える。
しかし、これらに連鎖するテーマはほとんど気づかれない。これらの時流を主流へ出現させるテーマは視界から失われている。
この主流は、ますます社会を人間中心へする文明の人間主義的変容である。
2. PLAN OF THE BOOK
皮肉にも human empowerment が世界規模で始まった瞬間、まさにこの過程の成功がそれ自体の基本を破壊する危機に面している。
世界規模の human empowerment は文明を地球規模の持続可能性を押し上げるが、その取り組みに傾倒するほど、human empowerment process はその脅威の解決のキーを握っている。
まず、持続可能性への取り組みに対処するには、さらなる持続可能なテクノロジーについての知識が必要とされ、human empowerment は深く技術革新と関連づいている。
次に、大衆支持を広めるには、持続可能への取り組みと解決への準備の国民意識が必要とされる。
そしてここで emancipative values が有益である。
(概してこのチャプターは、この本の構成の説明に割かれている)
3. SCHEMES TO CATEGORISE SOCIETIES AROUND THE WORLD
人の実行可能能力の領域の行動原理(action resources)、人の動機の領域の解放に向けた価値観(emancipate values)、保証の領域の市民権利(civic entitlements)、3つが human empowerment の枠組みである。
この中で、開放に向けた価値観が最も計測困難である。
我々は human empowerment のもっと容易な観察要素、action resources、civic entitlements にフォーカスし、社会を分類する。
この分類は、解放へ向けた価値観について、国を越える変数を表すとき監視をするうえで役に立つ。
3.1 Stages of Human Empowerment
大規模な技術革新は、一般人に intellectual resources を意のままにすること、material resources を所有すること、connective resources へのアクセスすることを可能にした。
これら3つのタイプの resources が、action resources である。
これらの action resources は、社会の技術革新と共に、良く備えられた、熟練した、結びついた人々の社会を増幅させながら、拡張する。
社会の技術革新を測るのに、World Bank's knowledge index(KI)を使用している。
解放へ向かう価値観が初めに見られた1995年からのデータを使用する。
KIは科学生産性、教育水準、情報・通信技術のおおまかな社会の一人当たりの指標で、以下おおまかに3つに分ける。
1. Traditional Economies
技術革新指標が1/3(0.33)より低い社会
多くが農業従事者(ではない場合は石油輸出経済)
伝統的社会経済構造を維持
2. Industrial Economies
指標は0.33~0.66の中間ゾーン
中間レベルの技術革新
多くが工業へ従事
3. Knowledge Economies
指標0.66を超える上位1/3のゾーン
知識産業に多くが従事
技術革新はより広がった教育、物質、通信に関わるため、これら3要素が目的を追い求める人々の能力を高める。
そのため、伝統経済より工業経済、工業経済より知識経済の方が、人の自由を行使するより高い能力を与える。
技術革新に加えて、民主的達成も human empowerments の一つの需要因子である。
技術革新が人に能力を与える一方で、民主的達成は保証を与える。
これを測るために Freedom House の指標を使う。(CRI:0.0~1.0)
1. Nondemocracies
0.0~0.33
市民権利が否定される社会
2. Hybrid Regimes
0.33~0.66
民主主義が中間レベルに位置
3.Democracies
0.66~1.0
より多くの権利が認められる社会
95の社会を分類したとして、本では表が添付されいてる。
これら表によると、Democracies グループには、南アフリカとトリニダード・トバゴの例外を除くと、残りはすべて Knowledge economies の国が分類される。
反対に、Nondemocracies グループにはシンガポールと香港が Knowledge economies の国として唯一分類される。
文化は超国家的存在で、特に帝国、宗教、移住など、同じ歴史を共有することによって形作られる。
同文化圏の社会は通常、類似した経済、文化、制度的特徴を共有し、お互いに家族国家のように捉えている。
文化に特徴づけられる文明はイデオロギーの架け橋がお互いに存在しない個別の世界へ人々を分類する。
などと、多くの研究者が深く検討しているのと同様に、human empowerment の段階を考える上で、世界の文化圏の合理的な分類に注意を払わなければいけない。
3.2 Global Culture Zones
文明の歴史において、最も深い切り口の一つは、帝国主義と植民地主義の時代の西洋による世界支配の隆盛である。
西洋の世界への影響を悔いる理由はいくつもあり、屈辱、搾取に始まり、他文化の根絶まである。
更に、西洋は、 Human empowerment が西洋のアイデンティティを形作りはじめるに従い、その過程による植民地での利益を独占した。
植民地からの搾取とポスト植民地時代に権威主義的政権を支援することで、西洋は他の民族が自由を獲得することを拒んだ。
西洋と非西洋の分裂の歴史的重要性を認識しながら、筆者の文化圏分類のスタート地点として、この分裂を採用する。
西洋文明はゲルマン民族伝統と一緒に西ローマ帝国の遺産がラテン系キリスト教を結びついた時、形作られた。
独特な契約形態を持った封建制度、宗教改革などを経て、人間主義と啓蒙主義の解放を経験した。
産業革命が西洋の世界支配を進め、これらの知識に科学の解放は基づいていた。
西洋同士の共通性にも関わらず、いつ民主主義が工業化するかや、どれだけ迅速に工業化社会へ変容するかは、西洋内で違いがあった。
欧州の北部、プロテスタントの地域で産業革命が始まり、南部や中央部のカトリックでは工業化は遅れ、大いなる緊張をもたらした。
この緊張は円滑で早期の民主主義の成功を妨げた。
地政学的に見て、ユーラシア文明の Axial belt の大西洋側に西洋は出現した。
その他は、西洋に比べて東洋的である。
東洋文明は少なくとも4つ。
モスクワを歴史的中心とする正教(Orthodox)、北アフリカから中東まで広大に広がるイスラーム文明、インドから南アジアの範囲のインド文明、そして中華を歴史的中心とする東アジアの中国文明(Sinic civilisation)である。
ユーラシア外では3つの文化圏、北米、オーストラリア、ニュージーランドと、サハラ以南のアフリカ、そしてラテンアメリカがある。
北米、東豪州、ニュージランドはまだ孤立地域だったため、北西欧州の気候に似た地域に移住し、封建主義の遺産に妨げられることなく、欧州のプロテスタントがそうしたより早く民主主義と工業化の道に続いた。
アフリカは植民地が始まるまで、サハラ砂漠のために、それ以南はユーラシアの発展からは疎外された。
サハラ以南は余剰農産物の確保が難しく、熱帯気候も西洋の移住者を敬遠させた。
そのため、原住民は欧州人と取って代わられることがなかったが、西洋の植民地政権の支配下では、北米プランテーションや鉱山へ奴隷として送られた。
サハラ以南は現在も再貧困地域である。
中南米は最後に移住された地域となった。
アステカやインカ帝国のアメリカンイディアン文明を個別に建てたが、欧州人にすぐに征服されることになる。
この地域はユーラシアの病原から隔離されてきたため、欧州人の入植と同時に、免疫を持たない多くのアメリカンインディアンは一掃される。
熱帯気候は北米のような農業従事者を引き付けなかった代わりに、プランテーションと鉱山の従事者を呼び込んだ。
原住民労働者が一掃されたあとはアフリカから奴隷を輸入した。
このため、左派ゲリラ紛争と右派軍事弾圧の、極端な社会不平等と二極化の遺産がラテンアメリカに残された。
正教にも当てはまるが、ラテンアメリカが分離した文明と見なす理由と同じく、西洋文明の支流と見なされるにも理由がある。
南欧州カトリックが拡張した新しい世界だからだ。
しかし、この地域は欧州の最も搾取的構造のプランテーションと鉱山植民地になり、欧州カトリックの反動分子を引き付けた。開放的伝統の弱点はラテンアメリカを他の西洋文明と区別する。
正教は、白人民族とキリスト教の原点を西洋と共有するため、西洋文明の支流と見なされるかもしれないが、ビザンツ、モスクワ、モンゴル、ツァーリの各帝国の専制主義の継続的遺産は、東側正教と西洋の解放的伝統を区別する。
上記の検討は世界の文明圏を以下のように分ける。
1.4つの東洋文明
2.4つの絡み合った西洋文明の支流
3.サハラ以南とラテンアメリカの2つのエリア
3.2.I Eastern Culture Zones
東側として、筆者はすべての社会は、西洋文明の東に位置したユーラシア文明をルーツにしていると考える。
文明間の断層線(cultural fault line)は、欧州とアジアではなく、プロテスタント・カトリック両方含む西洋のキリスト教と東側正教、イスラームとを分ける、欧州を南北に走る軸によって分断される。
東洋文明は西洋よりずっと古く、何世紀も西側はその影に隠れた存在だったが、それゆえ16世紀に始まった西洋の突然の世界支配は衝撃をもたらした。
アメリカ大陸と比べると、その西側の東洋への影響は、人口動態や文化という点では限られていた。
東洋の原住民は一掃されなかったし、文化アイデンティティも破壊されなかった。
東洋社会は西側の植民地政策としては狙われなかった。
免疫についても東洋は既に人口を密集させ、西洋と共用していた。
しかし、東側正教と日本は例外として、北アフリカから中国までの東側経済は、西洋支配による世界秩序に作り替えられた。
自国の自律的な生産施設の破壊と、茶、香辛料、絹のような天然資源の搾取構造などだ。
経済的・民主主義的発展を長く妨げた、西側の植民政策は東洋の専制主義の伝統を悪化させた。
しかしながら、日本の隆興と、近年のインド、中国、「アジアの虎」と呼ばれる国々の上昇と共に、この状況は劇的に東洋に変化をもたらしている。
アラブ、ペルシャ、オスマン帝国がある程度イスラームの中心できたことを反映させ、中東、北アフリカ、イラン、トルコがイスラームの中心とする。
東イスラーム(Islamic East)は西洋といくらかのつながりを持つ。これは長い時間をかけたギリシア・ローマの影響からである。
南、中央アジアはこういった特質を持っておらず、この理由から上記のグループへは分類されない。
WVS(World Value Survey)は8か国、アルジェリア、エジプト、イラン、イラク、ヨルダン、モロッコ、サウディアラビア、トルコを東イスラームへ含む。
東インディック(Indic East)は南アジアをカバーし、2番目に古い文明の起源である。
仏教とヒンドゥイズムの発祥の地となり、その影響は放射状に地域へ広がった。
また東インディックは、数百年のムガル帝国統治の影響で、最も強くイスラームの影響を受ける地域でもある。パキスタンやバングラデシュがインドから分裂したのが顕著な例である。
しかし、イスラームは歴史的にこの地域で支配的でなく、東イスラームのように堅固でもない。
WVS は8社会、バングラデシュ、インド、インドネシア、マレーシア、パキスタン、フィリピン、シンガポール、タイを東インディックとして含む。
東シニック(Sinic East)は、クレタ文明ほど古い文明の代表である。
中国が東シニックの中心社会で、インドのようにブッディズムに影響を受けたが、中国もインドもブッディズムが形成的信仰システムとはならなかった。
インドはヒンドゥー、中国は儒教(Confucianism)が形跡的信仰システムとなった。
中国文化はすべての東アジアへ広がった。
歴史的に東シニックの社会は主要な一神教の影響をそれほど受けなかった。
シニック文化では伝統的に、宗教は私的な領域で重要であり、政治的・イデオロギー的重要性は持ち合わせていなかった。
WVS は東シニックとして6か国、中国、香港、日本、韓国、台湾、ベトナムを含む。
東正教(Orthodox East)は中東を起源として拡散されながらも、最初にギリシア中心の南東地中海の欧州へ文明は到達した。
ローマ帝国時代、汎地中海文化(pan-Mediterranean culture)が出現し、東西の帝国分裂を経て、2つ欧州は別々の発展の道を進んだ。
西側はラテン語の一方、東側はギリシア語へ戻り、ビザンツ帝国期に正教の基盤となり、今日の東正教として残る。
ビザンツ帝国が陥落したあとは、その役は、東側の先導文明であるモスクワによって引き継がれた。
長いモンゴル専制主義によって形成され、ロシアのルールの概念は、ビザンツの皇帝教皇主義を受容した。
ツァーリによる独裁主義のもと、東正教は西洋の解放運動である人間主義、宗教改革、啓蒙思想などからは護られた。
ソ連共産主義は経済的に社会を再構築したにも関わらず、政治的専制の伝統は続く。
シベリア、多くの中央アジア国家へ拡張するにつれ、イスラームはロシアの支配に入った。
WVS は13か国、アルバニア、アゼルバイジャン、ベラルーシ、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、ジョージア、キルギスタン、マケドニア、モルドバ、モンテネグロ、ルーマニア、ロシア、セルビア、ウクライナを東正教へ含む。
3.2.2 Western Culture Zones
西洋社会は、東イスラームと東正教と、ギリシア・ローマ時代からのルーツを共有している。加えて、キリスト教と白人民族を東正教と共有している。
しかし、人間主義、宗教改革、啓蒙主義をはじめ、工業化・民主化のタイミングまで、文化圏としては、それらは明らかに区別される。
技術革新と軍事力の突然の達成により、西洋社会は、残りの世界の植民者となった。
ローマ帝国に源流があり、イスラームの拡張、宗教改革をやりすごした、多くは南欧州のカトリック社会、Old West は、12社会、アンドラ、オーストリア、ベルギー、キプロス、フランス、ギリシア、イスラエル、イタリア、ルクセンブルク、マルタ、ポルトガル、スペイン、が WVS と EVS に含まれる。
プロテスタント社会、Reformed West は、デンマーク、フィンランド、ドイツ、英国、アイスランド、アイルランド、オランダ、ノルウェー、スウェーデン、スイス。
大航海時代のあと、 New West として、北米、オーストラリア、ニュージーランドが出現した。これらの地域は Reformed West がしたより、何倍も早く工業化した。
New West の植民地政策は、ネイティブアメリカンの大半、アボリジニー、マオリの根こそぎ一掃するという悲劇を生んだ。
WVS は New West として、オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、米国を含める。
ソ連崩壊前の共産主義の文化圏と比較して、共産主義の拒絶と自由民主の探求がより断言できる社会が、Returned West である。
これらの国々は、ソ連崩壊後、すぐにEUに加盟した。
社会の価値観は Old West とそう大きく変わらない。
Returned West はクロアチア、チェコ、エストニア、東ドイツ、ハンガリー、ラトビア、リトアニア、ポーランド、スロバキア、スロベニア。
3.2.3 Neither East Nor West
東西の分かれ目はユーラシア内であり、その外側のサハラ以南のアフリカと中南米はその区分には含まれない。
植民地化以前に察したる出来事を持たずに独立したアフリカ社会は植民地の負の遺産に今も苦しんでいる。
その1つは、部族間の国家権力闘争に油を注ぐ民族間の分裂が存在しており、為政者にとってはそれが、公共の益を提供する責務ではなく、利益の源としていることだ。
WVS は以下の10か国をサハラ以南(sub-Saharan Africa)の社会へ含む。
ブルキナファソ、ガーナ、マリ、ナイジェリア、ルワンダ、南アフリカ、タンザニア、ウガンダ、ザンビア、ジンバブエ。
中南米(Latian America)社会はアメリカンインディアン文明を一掃した廃墟の上に自身の社会を築き上げた。
と、ここで Mandatory Reading の半分くらいだが、学期中ここで力尽きたらしい。
とりあえず、備忘録としてアップしておく。


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