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2025/03/18

研究方法論 II 文明の衝突

第4週から第5週にかけて3つの Mandatory Reading が与えられた。

第5週のセミナー前日に、この文献についてオンラインでテストが実施されるそうな。


1つめに読んだサミュエル・P・ハンティントンの The Clash of Civilisations?(文明の衝突)は、1993年のフォーリン・アフェアーズ誌にて出版されたもので、非常に面白かったのでまとめる。


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日本語訳もあるようだ。

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出版されたのが1993年ということもあり、この中に出てくる日本は経済的に大成功したバブル絶頂のイメージで、西洋側だが西洋文化ではないユニークな国として登場する。


以下、内容の知識定着のため、まとめ作業をする。




The next pattern of conflict(次世代の紛争のかたち)

著者は自身の仮説をここで上げている。

新しい段階に入ったこの世界では、いさかいの本質は経済でもイデオロギーによるものでもなく文化的なものになるだろうとしている。

国民国家は世界の主要なプレイヤーとして留まるだろうが、国際政治の舞台でのいさかいの原理異なった文化を持つ集団または国民になると予測している。


西洋では中世から1次大戦まで、王や皇帝が領土を争い、また1次大戦後にナチズム、ファシズムなどが共産主義や自由主義と、そして冷戦で共産主義と自由主義が争った。


その後、対立軸は西洋と非西洋に移った。




The nature of civilisations(文明の本質)

冷戦期に第1世界、第2世界、第3世界と呼ばれた分類はもう意味がなく、政治的・経済的観点からではなく、文明的・文化的観点からで分類することを強調する。

文明とは最も高次的意味で文化的に人類を分類するものだ。

それは言語、歴史、宗教など一般的な要素から、個人の主観、例えば民族自決の広義の要素すべてから定義される。

それ故、構成要素や境界線は変化しうる。

また、文明とは西洋、ラテン、アラブのように多くの国家を含む場合もあれば、日本の例のようにひとつの場合もある。


多くの国家を含む例としては、西洋文明は主に北米と欧州から成り、アラブ文明はアラブ、テュルク、マレーというところだ。

※テュルクは中央アジアを含む広義のトルコ系



Why civilisations will clash(なぜ文明は衝突するのか)

この先、文明のアイデンティティがますます重要になる。

西洋、儒教、日本、イスラーム、ヒンドゥー、スラブ正教、ラテンアメリカ、そしてアフリカの文明だ。


この先は、これらの切れ目によっていさかいが生じると見る。


その理由として第1に文明の相違が現実であるだけでなく、そもそも基本であること。

言語、文化、伝統、宗教によって分類され、皆違う視点から見る間柄である。

これは途方もない時間をかけて構築されてきた産物であり、すぐには取り払えなく、政治的イデオロギーや政権と違い、想像以上に根本原理なのだ。


文明の違いがそのままいさかいを意味するわけではないが、何世紀もの間、最も残虐な争いを生み出してきたのも文明の違い故である。



第2に世界はより縮図化しており、必然的に異文明間の接触が増加し、自分の属する文明をより意識させること。

例えば、北アフリカからのフランスへの移民は、フランス人に敵意を生み出すのと同時に欧州カトリック本山として受容力も成長させた。(1990年ころまでの例)

カナダや欧州からの投資を見る時と、日本人の米国への投資を見る時とでは、アメリカ人の見方は、日本人の投資に対してとても否定的である。(これも1990年ころなのでバブル期の投資のこと)




第3に、経済の近代化と社会変革は人をローカルアイデンティティから切り離そうとするため、アイデンティティの源としての国民国家の影響を弱めること。

ここの不足分を宗教が埋めている

イスラーム、西洋キリスト教、ユダヤ教、仏教、ヒンドゥー教に見られる原理主義だ。

(1990年時点で)若く、大学教育を受け、中流階級、技術者、専門家、ビジネスマンに特に見られる傾向である。



第4に、西洋が世界の権力の座におり、そのことが非西洋の中に起こっている現象の起源を結果的に与えていること。


過去には非西洋の指導層は西洋で教育を受け、西洋の価値観を吸収した者で、マス層はその逆が普通だったが、現在はそのエリート層に非西洋化が起こっており、逆にマス層がより西洋文明に明るくなっている。



第5に、政治的・経済的特徴と違い、文化的特徴は変わりにくく、そのため歩み寄りも困難であること。


イデオロギー的選択は変更可能だが、属する文化を選択することはできない。



最後に経済的地域主義の増加だ。

1980年から1989年までに各地域の地域間貿易の割合は増加しており、この先も増えるだろうとする。

地域主義の成功も文明意識を高める。


一方でこの地域主義は共通文明に根付く場合のみ成功するのかもしれない。

欧州は欧州文化と西洋キリスト信仰をシェアしており、北米しかりだが、対照的に日本はその文化と社会の独特さゆえに、東アジアで経済圏を創りあげるのに困難を伴う。

しかしながら、日本の強力な貿易と投資は、東アジア各国と共に発展するかもしれない。それらの文化的違いが、欧州や北米のような地域経済の統合は不可能にするが。


反対に中国は、その共通ルーツゆえに香港、台湾、シンガポール、各国にある中華コミュニティのおかげで経済活動を促進できるだろう。


文化と宗教は経済協力の組織の形成も助ける。

イラン、パキスタン、トルコ、アゼルバイジャン、カザフスタン、キルギスタン、トルクメニスタン、タジキスタン、ウズベキスタン、アフガニスタンの非アラブ10か国のムスリムの結集は、欧州コミュニティには入ることが認められないとの認識からだ。


文化と宗教の違いは、移民の人権から貿易、商業から環境まで政治問題となるが、最も重要なことは、軍事的支配を保つため、経済的利益を得るために、西洋が自身の価値観と自由主義を世界の価値観として促進する行為は、他の文明からカウンターレスポンスを生むことだ。


(カウンターレスポンスの最たる例が2001年の9.11と言える)




The fault lines between civilisations(文明間の断層線)

鉄のカーテンが欧州を政治的、イデオロギー的に分断したとき冷戦が始まり、また鉄のカーテンが除かれることで冷戦が終わりを迎えた。

しかし、西方キリスト教、正教、イスラームの文化的分断が欧州に再出現した。


西洋キリスト教と正教の境界線は下の地図で言うと、地中海側から見て、クロアチアとボスニアの境つまりオーストリア・ハンガリー帝国とオスマン帝国の境目と重なる。

その切れ目から北にロシアを真っすぐ突っ切って、フィンランドとロシアの切れ目に沿うラインになる。

※現在のベラルーシ、ウクライナ、ルーマニアは西と東で分断される。



オスマン帝国支配下ではミッレトという統治機構で、キリスト教でもイスラームに改宗する必要はなかったため、このラインで西方キリスト教と正教とだいたい分かれることとなる。


ー      ー      ー      ー      ー      ー

(旧ユーゴスラビアが、スロベニア・クロアチアの国境線に沿ってきれいに東西分かれることは、ユーゴスラビア紛争がスロベニア・クロアチアとセルビアのいさかいから開始したことを思い起こさせる)

図:旧ユーゴスラビア WIKICOMMONS出典


図:旧ユーゴスラビア人種構成 WIKIKOMMONS出典

ー      ー      ー      ー      ー      ー



このラインの西側はプロテスタントとカトリックで、封建制度、ルネサンス、宗教改革、啓蒙思想、フランス革命、産業革命という経験を共有し東にくらべ歴史的に繫栄してきた


イデオロギーの鉄のカーテンは重要な意味を持つラインで、ユーゴスラビアの例を見るように、紛争のラインでもあった。


一方、西洋キリスト教とイスラームの分断線は、11世紀から13世紀まで十字軍が一時的な成功を治めることで東側へと移ることもあったが、14世紀から17世紀はオスマン帝国が覇権を握り、中東、バルカン半島、ハンガリーまで手に入れ、2度ウィーンを包囲するまで拡張した。


最終的にオスマン帝国は衰退し、かわりに英・仏・イタリアが北アフリカや中東へ勢力を伸ばした。


2次大戦後、西洋はそれら植民地を失い、エネルギーをペルシャ湾近郊のアラブ諸国に強く依存した結果、その諸国は富国強兵を実現した。

そして中東戦争(アラブ諸国対イスラエル)が何度も起こった。


1950年代、仏はアルジェリアと戦い、1956年に英・仏はエジプトに侵攻した。

米国は1958年レバノンへ軍事介入し、その後リビアを攻撃した。


西洋とアラブの紛争が最高潮となったのが、1990年の湾岸戦争である。

この戦争余波として、NATOの戦略はますます潜在的な脅威に対して直接的になった


湾岸戦争でサダム・フセインがイスラエルを攻撃したこと、西側へ反抗したことを誇らしげに思うアラブ国もあった。

自らの行く先を自国で決められない現実と、西側のペルシャ湾での軍事的振る舞いが、アラブ諸国に怒りと羞恥の感情を残した。


結局、西側の民主主義は非西洋の勢力を強めるのである。

またイスラームと西洋の関係を複雑にする。


アラブ諸国の顕著な人口増加は西側への移民を増加させた。

1990年から伊・独・仏において、人種差別がますますオープンになっており、アラブ・トルコ系の移民への暴力が広がっている。


これは文明の衝突として見ることができる。


(アフリカ、ロシア、アジアの例は割愛)




Civilisation rallying: The Kin-Country Syndrome(文明結集:近親国家症候群)

H.D.S. Greenway が名付けた「"Kin-Country" syndrome」は政治的イデオロギーと伝統的な権力均衡の考慮を、協力と連合の基本原理へお置き換えている。


これはペルシャ湾、コーカサス、ボスニアでポスト冷戦の紛争として見られる。


湾岸戦争でイラクはクウェートへ侵攻し、そのあとアラブ・西洋などの連合と戦った。

わずかなアラブの国々が公然とサダム・フセインを援護する一方、他の多くのアラブの指導層は密かに彼を応援した

彼とその援護者たちはこの戦争を文明間の戦争と位置付けた。

「西洋」の「イスラーム」への敵対だと。


アラブ各国の政府は、西側による92年夏の飛行禁止区域の強要や、93年1月のイラク爆撃などの政策と距離を置き始め、90年に西側-ソ連-トルコ-反イラクの大連合だったものが、93年にはほぼ西側-クウェートになっていた。


ムスリムは西側のイラクへの行動を、セルビアからボスニアを守れなかったこと、国連決議を侵したイスラエルに制裁を課すことがきなかったこと、これらと対比させて見ていた


西側はダブルスタンダードだと。


しかしながら、ある国が近親国家にあるスタンダードを適用すると、その他の国々に対してへは必然的に異なったスタンダードを適用することは避けられない。

文明の衝突の世界は、必然的にダブルスタンダードになるのだ。



ソ連でも近親国家症候群は見られた。


1992年のアルメニアの軍事的成功はトルコが、宗教的、民族的、そして言語的にも近いアゼルバイジャンを支援した。


ソ連は崩壊前、アゼルバイジャンを支援していた。

アゼルバイジャンの政権に共産主義が多かったからだ。

しかし、ロシア軍はアルメニア側で戦った

ロシアは政治的ではなく、宗教的理由を取ったのだ。

※アルメニアとロシアは正教


アゼルバイジャンは180度方針転換をして、キリスト教のアルメニア人を援護したロシアを非難した。



ユーゴスラビアの例では、西側はセルビアによるボスニアのムスリムへの惨劇に同情的だったが、クロアチア人のムスリムへの暴力ボスニア・ヘルツェゴビナの領土分割への参加西側によってほとんど憂慮されなかった

※セルビアは正教、クロアチアは西洋キリスト教


ドイツは外向イニシアチブを異例に発揮し、スロベニアとクロアチアのユーゴスラビアからの独立を認めるよう欧州の国々に働きかけた。

バチカンは欧州の国々よりも先にカトリックであるこの2つの国を承認した

※スロベニア、クロアチア、バチカンはカトリック、ドイツもカトリックが多い


米国は欧州のリードに続いた


ふたを開けてみれば、西洋による結集は同宗信徒によるものなのだ。


クロアチアは相当量の武器を中央欧州と他の西側諸国から受け取ったと報告された。

ロシアのエリツィン政府は西側との関係を考慮し、中道を進みたかったが、正教のセルビア人をなぜ援護しないのかと、国内の保守派から非難された。


一方で、イスラームの政府や集団はムスリムであるボスニア人を西側が守らないことを厳しく非難した。

1993年までに、イランやレバノンから4000人ほどのムスリムが、ボスニア軍を構成するため戦地へ向かった。


サウジアラビアは1992年までにかなりの額をボスニアへ支援した。


もし次の世界大戦が勃発するなら、それは文明間の戦争となるだろう。





The West versus the rest(西洋対それ以外)

今日、西洋の権力は並外れたピークを迎え、対抗する巨大勢力は地図上から消えた

西洋勢力同士での紛争は考えられなく、西側の武力も競争相手はいない。

日本を別にすると、経済的にも敵はいない。


国際政治と安全保障の問題は米・英・仏の管理のもと決着され、国際経済の問題は米・独・日によって管理される。


国連安全保障理事会や国際通貨基金での決定は西側の意向を反映させたもので、それが国際社会が望むものとしてみなされる


湾岸戦争を経て、米・英・仏は安全保障理事会を利用して前例のない行動を行った。

パンアメリカン航空103便爆破事件の容疑者引き渡しをリビアが拒否したとき、経済制裁をかけたのだ。

アラブ最大の軍隊を降したあと、西側はこうした行為をアラブ世界に対して、躊躇なく踏み切るようになった



西側は、世界での優位性を保つため、また西側の利益を守るため、そして政治的・経済的価値を促進するために、国際機関、軍事力、経済力を事実上、自らの目的のために利用している

これが非西洋側から見たときの西側の言う新世界であり、その視点にはかなりの要素に真実が含まれる


それゆえ、西洋と非西洋の闘争の根源のひとつは、軍事・経済・国際機関での力の行使力の違いなのである。

根源のもうひとつは、基本的価値観と信条の違い、つまり文化の違いである。


西洋の価値観、個人主義、自由主義、立憲主義、人権、平等、自由、法の下の秩序、民主主義、自由市場、政教分離、これらはイスラーム、儒教信者、日本人、ヒンドゥー、仏教信者、正教の文化へはほとんど響かない


”普遍的文明”が出来得るという西洋の価値観は、排他主義的なアジア社会や個々の民族の違いに重きを置く視点とは相いれない


西側が最も重きを置く価値観は、世界では全く重要でないのだ


政治領域では、米国と西側の権力は民主主義と人権主義を他諸国へ誘発させる。

近代の民主主義政府のかたちは西洋から起こったが、非西洋社会に民主主義政府がすでに発展している場合の多くはたいてい西側の植民地主義または強制的にそれを負わせたことによる結果だ。


この西洋と非西洋の対立軸と西洋の価値観への反発はいくつかの形態で存在していくことになる。

1つは、ブルマ(現ミャンマー)や北朝鮮のような究極の孤立型

1つは、西洋の価値観やしくみを受け入れ、西洋と同じ船に乗ること。

そしてもう1つは、軍事・経済を発展させることによって西側と均衡をとろうとすることだ。つまり、近代化はするが、西洋化はしないということだ。




The torn countries(引き裂かれた国家)

明らかに異なった文明が共存するソ連やユーゴスラビアだけでなく、ある程度、文化的に均質と思われる国で、個人が属する文明が別々に分かれてしまう場合、これらの国は、Torn countries(引き裂かれた国家)である。


最も典型的な例がトルコである。


20世紀のトルコの指導者たちは、アタテュルクの伝統に従い、そして近代的、非宗教的な西側の国民国家とトルコを定義した。


その後トルコはNATOへ加わり、湾岸戦争へ参加し自身を欧州の一員として当てはめた。

しかし、トルコ社会はイスラームの復活に支えられているうえ、そもそも中東のムスリム社会の一員である。

さらに、トルコの指導者層は自国を西側の一員と見ていても西側の指導者層はトルコを西洋として受け入れることを拒絶する


トルコはムスリムで、西洋はクリスチャンなのだからあり得ないのだ。




The Confucian-Islamic connection(儒教とイスラームの繋がり)

このチャプターはまとめ作業を割愛する。




Implications for the West (西洋への暗示)

この投稿は文明アイデンティティがすべてのアイデンティティにとって代わるということを議論しているわけではなく、国民国家が消失するだろうという議論でもない。

また、個々の文明が1つの政治本体になるという議論でもないし、文明内の集団はお互い争わないという議論でもない。


文明の差異現実重要だという仮説を提言している。

世界政治の最重要な軸は西洋と非西洋の間の関係となる。


短期的には、西洋は更なる協力関係と連合を、文化的に近しい東欧州と中南米を取り込みながら、欧州・北米で促進するだろう。

またロシアや日本との関係性を維持し、促進するだろう。


長期的には、非西洋文明は西洋化せずに近代国家を目指す

現在のところ、日本だけがこの追及に成功している


非西洋が近代化を目指す過程で、相容れない価値観ゆえに、非西洋による、西洋の優位性への挑戦への対処を西側は余儀なくされるだろう。

そのため、西側は既得権益を守るために、経済・軍事力ともに維持を必要とする。

しかしながら、非西洋が己の利益を見るように、非西洋文明の根底にある宗教的・心理的仮説のより深い理解を、西洋が努める必要があるだろう。


これに関連した未来に、西洋が言う普遍的文明はないだろうが、代わりに、共存を学ばなければならない様々な文明で構成される世界が到来するだろう。


ー  ー  ー  ー  ー  ー  ー  ー  ー


まどめがだいぶ長くなってしまったが、1993年に出版された著作で、タイムリーにテレビで見た話題も多く、なるほどと思うところもあれば、そうはなってはいないな、と思うところもあったが、本当に面白かった。

最近読んだエマニュエル・トッドの内容とリンクする所もあり、非常に勉強になった。

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感想(3件)



エマニュエル・トッドの著作と比較すると、ハンティントンの西側視点の一方的さの表現は少し弱いが、わかりやすく具体例を挙げていて飲み込みやすいし、何より読みやすい文章だった。

あとはフランシス・フクヤマとアマルティア・センの著作があるが、今週まとめるのは時間の都合で難しい。

気が向けば後日まとめようと思う。

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