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2023/02/01

ケンブリッジ英検のおかげ

ーもくじーーーーーーーーーーーーーーーー

本番形式のMock Tests

ケンブリッジ英検を選ぶ理由

英語が「できる」とは?語学は一生

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本番形式のMock Tests

本日、Reading、Use of English、Writing、Listeningの本番形式のテストを受けた。

コースの中間試験のもののようだ。

問題を見て気づいたが、ケンブリッジ英検FIRST公式問題集からの過去問だった。


しかし、以前やったことのある問題でも、その時より英語力が向上していなければ、平気で同じミスをする、または回答できないまま。

当然それなりの期間を開けるのが前提だが。

その点私は、年齢も重ねているため、問題なんてすぐに忘れられるので、数か月もすればReadingの選択肢を全く覚えていない。

なので地力が向上してなければReadingは同じミスをする


Use of EnglishのPart4は前回誤答した場合は、またわからない可能性が高い。

その原因は、答え合わせ時は復習しているつもりだが、もっと根本のところで文法を深く身につけられていない、と理解している。


しかし今回は、Use of EnglishのPart4は授業を通して学んだこと、対策問題として渡された100問の効果か、全問回答できた。

Readingは、相変わらず全体としてみるとまだまだだが、Part6の文挿入はしっかり選択でき、全問正解できたのは前向きに捉えておこう。


しかしWritingは久々のテスト形式で2問回答だったので、時間配分がめちゃくちゃで、2問目の回答はまったくイケてないものとなってしまった。


明日はスピーキング、当たって砕けろ状態である。



ケンブリッジ英検を選ぶ理由

思い返せば、そもそも英語学習を始めたのは、たまたま近所で、英会話レッスンの、手作り感満載の張り紙が目に入り、しかも自宅からとても近かったため、なんとなく通うことにした、という何とも適当な経緯である。


当時、会社員生活もそれなりに長くなり、何か新しい要素を生活に取り入れたいと考えていたこともある。


そして、しばらく通い続けるのち、その英国帰りの講師に、たまたまケンブリッジ英検を進められた。日本英語検定すら受けたことのない私が。


ただ、このケンブリッジ英検との出会いは結果的に、モチベーション維持に絶大な役割を果たし、いまオーストラリアでFCEとCAEを受けしようとしてまでいる。


日本で初めてFCEを受験した時は、まったくの力不足でB1認定に打ちひしがれたが、2回目を受ける意欲の根源にもなったし、何よりこの検定は自分の英語力の現在地を明確に示してくれるため、結果を見ることでモチベーション維持に繋がる。

試験当日は、最後のスピーキングが終わった瞬間は解放感に一瞬包まれ、会場を出るころには自分の力不足に毎回うなだれるが。(自分の準備不足なだけなのだが)


日本では、日本英語検定IELTSTOEFLがわりと一般的で、ケンブリッジ英検はかなりマイナーであるが、海外の大学や専門学校へ留学するための英語力の証明として広く採用されているし、証明書は生涯有効という点もあり、私はとても気に入っている。


また出題形式が非常にユニークで、その点もお気に入りだ。


特にリスニングは、ブリティッシュアクセントそのままに、通常会話スピードで、他の検定試験とは一線を画している(らしい)。

しかもどのパートも2回聞くことができるので、聞こえていなければ2回聞いてもわからないでしょ、という地力を問うクールな形式だ。


スピーキングは受験者が2人で議論をするパートがある、というところもユニークだ。


だからその結果は正しい英語の実力が提示されているようで、とても信頼感がある


ただ、日本ではケンブリッジ英検を受けるのは、ハードルが高くなってしまっているのが残念な点である。試験会場と試験機会が圧倒的に限られるためだ。


特にコロナ以降は顕著で、東京以外の社会人が受けるには日程と移動の点で辛いところがある。過去2回、私もわざわざ飛行機に乗って東京の受験会場へと行った。


受験費用も含め決して安くはなく、その実施会場・回数にも制限が激しいケンブリッジ英検、という見方をすると、日本国内では、英語力向上という目的だけであれば、実施会場・回数も多い日本英語検定を利用するのが良いだろう。


個人的には旅行した気分になれるので遠方に行くのも悪くない。

特に試験終了後の解放感そのままに、東京在住の友人に会うのは楽しみだった。


そもそも私はケンブリッジ英検のファンになってしまったので、距離とか関係ないが。



英語が「できる」とは?語学は一生

私は英語学習を始めたころ、「英語ができるようになったら」という想像をしたりしたが、ケンブリッジ英検と出会ってからは、この先パスする検定レベルが上がっていっても、英語が「できる」とは一生言えないな、と思うようになった。


新入社員の頃、海外駐在帰りの人に無邪気に「英語できるんですね~良いですね~」と言ったものだが、「英語できるんですね」なんて今考えると本当に恥ずかしいし、ばかな発言だなと思う。


過去に、勤務先の教育プログラムでカナダに派遣される際、仲介会社の渡航前研修として、1週間朝から晩までネイティブの講義を受けた。

(9時~18時ぶっ続けで結構過酷だった)


その講師が、「君たちの今の英語力は今はこの程度だが、このまま続ければグンと伸びる時期が来る」とホワイトボードに成長曲線を描いた


その成長曲線は、最初柔らかい伸びから始まり、途中で急こう配になり、また柔らかい伸びへ鈍化していた。


私がハッとさせられたのは、その曲線が我々の寿命がくるまでを前提として描かれていた点だった。


母語である日本語ですら、学生から社会人になった際、使用する語彙も変わり、使い慣れない表現や新しい(古い)言い回しを知り、使うようになったし、人によっては何歳になっても不得手(そもそも無頓着)のままの人もいる。

一方で、まだまだ私が知らないままの素敵な表現もたくさんある。

学ぶ姿勢がなければ絶対に使いこなすことはないだろうし、また言語は使用しなければ失うのは一瞬だ。


考え方は人それぞれだが、私は母語ももっと表現豊かになりたいと思うし、それは人生をより豊かにしてくれるひとつのツールだとも思う。


だからそれからは私は母語も一生学ぶ姿勢で日々接している。


話がそれたが、英語に限らず語学学習は、習得といえる明確なゴールはなく、いかに生涯を通して食らいついて学習を続けるかが重要だと思う。

過去の自分とその先にある自分、その両方の自分と現在の自分を常に比較しながら。


ちなみにこの講師から教わったスピーチ前の心得に関する3ワードが印象に残り、今でも実践している。


Image

Confidence

Relax




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