恐らくブダペストでたった1人の日本人美容師をみつけ、切ってもらった。
「昔のハンガリー人の同僚は、スキばさみ持ってない人も多かったですね~」
と言っていた。
「ハンガリー人のお客さんの中にはスキばさみすると怒る人がいますからね~」
「もともと薄さを気にしているのに、更にすいたりもってのほかだ、って感じで」
「お客さんは髪の量も多いし、そして毛が太いですね~スキばさみ必要ですよね」
と言われた。
写真:奥の緑色の窓が美容室だ
価格も上記のブログからは変わっており、男性のカット・シャンプーで8,000ft(約3,200円)だった。
原則現金のみで非接触式会計システムはない。
まずはメールで予約必須。
9割日本人のお客さんだそうだ。
過去に40歳で医学部に入ってしっかり卒業した日本人がいたとか、日本人駐在員や大学生でつくったサッカーチームがあるだとか教えてもらった。
Dormitory
さて、大学のドミトリーについてまとめる。
1.Stipendium Hungaricumの奨学生は寮費無料(電気・ガス・水道・WiFi込み)
※Self funded studentでもこの古いドームであれば約16,000円/月ほど
2.基本3人部屋
3.洗濯機使用無料
4.シャワー・トイレ・キッチン共用
5.レセプションは24h常駐だがハンガリー語対応のみ
6.平日19:00~20:00は学生のセクレタリー担当者が駐在(不在も多い)
現在はTarkarétからKinizsiへ再度引っ越しをしたため通学時間がほぼなくなった。
大学の隣で心が安心したのか、初めて寝坊をしてスペイン語のクラスがすっ飛んだ。
現在の寮Kinizsiと以前の寮Tarkarét(リノベ済みの方)を比べると、
部屋:Tarkarét>Kinizsi
同じ3人部屋なのに狭くなってしまった。
また今の寮は洗面所が部屋に付属していない。
収納は同レベル。個人机は微妙に広くなった。
洗面所:Tarkarét>Kinizsi
Kinizsiは洗面所が共用。
女性とシェアのフロアなので、化粧前の寝起き女性に会うのは個人的に気まずい。
キッチン:Tarkarét>Kinizsi
Kinizsiの方がせまく、古い。
ただ、どちらも料理をする気にはなれない使い勝手。
トイレ:Tarkarét>Kinizsi
Kinizsiの方が狭い。いずれの寮もトイレットペーパーの持参要。
シャワー:Tarkarét>Kinizsi
Kinizsiの方は単純に汚く、水勢がなくちょろちょろ。
また女性と共用のため、3人スペースあるが、1人ずつカギをかけて使用
洗濯機:Tarkarét<Kinizsi
Tarkarétは1階に4台(うち1台は常時故障で使用不可)。
Kinizsiは居住フロアに1台。
入居当初は1台共用かよ!と思ったが、予約状況がスカスカで融通が利き、便利。
住人数:Tarkarét>Kinizsi
Tarkarétの寮は人が埋まりきってないフロアであること、また広い。
Kinizsiは廊下も狭いうえに部屋もせまく、同フロアに男女何十人も居住している。
周辺施設:Tarkarét<<Kinizsi
いうまでもなく、Tarkarétの周辺はお墓だけだし、Kinizsiは街の真ん中だ。
通学距離:Tarkarét<<<Kinizsi
もう比べ物にならない。
ノイズ:Tarkarét>Kinizsi
今はドナウ川の目の前で、幹線道路があるので、車の騒音がうるさい。
Tarkarétは隣に会社があったが、夜は閉まってるし、他には何もないため静か。
ルームメイト
写真:カザフスタンのコルト
現在のルームメイトはガザフスタン人の18歳とベトナム人の28歳だ。
カザフスタンはイスラム教で、「味噌汁飲んでみる?」と聞いた時には、「それはハラルか?」と聞かれ、新鮮だった。
コルトという乳製品らしい保存食みたいなものをくれたが、経験したことのない、しょっぱく、すっぱい、何とも不思議な味だった。
きつかったのが、口に入れた瞬間、口内の水分という水分をすべて奪われ、口内がパサパサになり、とても噛み続けられない。
(あくまで個人の感想)
何か飲み物がないととても食べられない。あと、味も食べきるのは根性がいると思う。
ベトナム人には1個なのに、私にはなぜか2個くれた。
豪州でコオロギの料理を私だけもらったことを思い出した。
ベトナム人は数年自国で勤務したあと、MBAを取ろうと決め、ハンガリーに来たそうだ。現在2年目なので最終イヤーだ。
24時間故郷と電話で話しまくるインドネシア人のルームメイトの時は本当サイアクだった、という話をしてくれた。
国民の休日
本日はハンガリー動乱の始まった1956年10月23日にちなんだ国の休日だ。
ハンガリーにとって民主化への転換となった重要な日。
この日は毎年、博物館と議会が無料で入れるようになるそうで、クラスメイトのロシア人とめぐってきた。
まず、国立博物館へ行ってきた。
どうやって回るのが正しかったのかわからないが、我々の巡った順番は現代からどんどん古くなっていく道順だった。
写真:色んな展示があった
ハンガリー動乱のあたりまでは、ふむふむという感じだったが、18世紀以前くらいになるとちんぷんかんぷんだった。
なにせ英語の説明も少ないし。
まずはハンガリーの歴史の予習をしたうえで、何回か通うことが必要そうだ。
印象に残ったのは、ハンガリー動乱で祖国を追われた生徒が描いたという1枚の絵。
ちぎれた足や腕が散乱した道路に死者が横たわっており、ソ連の戦車が描かれていた。
(写真を撮り忘れてしまった)
次に議会へむかった。
道中、結構同じ学部の生徒に会った。
この日の議会はとても混むと聞いていたので、入れるか心配だったが、16時も過ぎていたため、そんなに長蛇の列でもなく、思ったより列に並び続けず入れた。
写真:議会のエントランス
建物内の美しさには目を奪われたが、衛兵2人が微動だにせず立ち、守っている王冠など、こちらも何なのか予習をすべきだった。
(王冠エリアは写真撮影禁止)
議会の前の広場には地下にハンガリー動乱のメモリアルとした博物館があり、そちらも入場した。ただ、展示物としては物足りなく、映像などが流されているのを合わせても少し物足りなかった。
一緒にめぐったロシア人は、ハンガリー動乱のその日に起こったことは、ソ連がハンガリー人に発砲したことばかりで、撲殺されたソ連兵を例に、ハンガリー人もどんなに残虐だったか伝えていない、と言っていたが、感情論だし、そもそも論点がずれてるなと思った。
しかし、ロシア人の生の声を聞けたのは単純に楽しかったし、ためになった。
モスクワ在住者の特権、戦争へは地方の者が出征、現在の政権への考え、なぜこうも独裁体制がロシア人は好きなのか、北方領土・・・。
彼は大学院まで行って、とにかく兵役が来るタイミングを遅らせたいと言っていた。
そりゃあ戦争している最中だから、その気持ちは簡単に理解できる。
International Relations
先日、Sociologyのセミナーでハンガリーをルーツに持つウクライナから来た女の子のプレゼンテーションを聞いた。
ハンガリーは第二次大戦で三国協商側だったため、大戦後ソ連に領土の一部を持って行かれた。その一部は現在はウクライナに引き継がれている。
写真:セミナーのある校舎は古くて美しい
ハンガリー人が多い地域のため、ウクライナ国内だがハンガリー語の教育が行われている地域だ。なので彼女はハンガリー語も話す。
しかし、現在ウクライナはウクライナ語以外の言語での教育を禁止する方向に走っている最中。
当然これにハンガリーのオルバン首相は反発しているのだが、私はそんな地域があること、ハンガリー人のディアスポラの歴史をとんと知らなかったので、とても興味深かった。
彼女のお父さんはあっち派、お母さんはこっち派、私はその中間というナマのストーリーも面白かったし、勉強になった。
彼女が高校でInternational Relationsを専攻していたということも、プレゼンを魅力的にしたと思われる。
このクラスでのプレゼンはパートナーと共同で実施するのだが、私のパートナーはハンガリー人とアメリカ人の混血だが韓国語がぺらぺらという彼。
なのでか知らないが、どうしても高麗人のディアスポラをテーマにしたいらしく、私もなし崩し的にそのテーマでOKという姿勢にさせられてしまった。
高麗人て。
プレゼンは来月末が出番である。
広告
![]() | 二つのアジアを生きる―現代カザフスタンにおける民族問題と高麗人(コリョ・サラム)ディアスポラの文化変容 新品価格 |

0 件のコメント:
コメントを投稿